天志道場の理念

当道場は知人のお母さんから「うちの子に空手を教えて欲しい」
と頼まれたのをきっかけに、平成8年に「竹中空手教室」として
当時、私の治療院の機械やベッドをよけてスペースを作り、
5人の子供達に指導を始めたのがこの道場の第一歩です。

そして平成13年より場所を現在の岡町道場に移転したのをきっかけに
名称を「天志道場」といたしました。(16年4月より東豊中道場開設)

「天志」の言葉の由来は「天地自然と一体となる生き方を志す」
という所からできたものです。相手に対する意識、自我、心配、不安、
人の心の中に湧き出る様々な「雑念」も、
心と体が天地自然と一体となった時にすべて消え去り、
その人の本来あるべき姿となる、そして本当の力を発揮する事ができる。

故・松下幸之助氏も「自然の理法に適うならば、物事は生成発展する」
と言われてました。

武道においては心身統一、
メンタルトレーニングで言う所の「集中状態=ZONE」、
私が多くの医療やスポーツの現場での体験を通じて得た
人間の本質的生き方に対する想いが、
この「天志」という言葉の中に込められています。

道場での稽古においては、技の追求という観点から見れば、
人と争う、人に勝つというものではなく、
自分の中のオンリーワンを目指し、
その中で最高のものを求めて己を磨き続ける。

心の部分においても、相手と争う、倒す事を前提としたものではなく、
人を活かす事、成長させる事を追求するのが
自然の理に適った生き方であると考え、
そうした考え方を稽古を通じて指導してまいります。

戦いの中では相手の弱点、つまり相手の嫌がるところを攻めていきます。
稽古を通じて「痛み」を知る事で、人の痛みも知る事ができる。
何が嫌かわかるのなら、逆に相手の喜びも見えてくるようになる。
だからこそ、稽古を通じて強くなればなるほど、
人間としても穏やかになり、人に対しても優しくなれる。

こうした事を稽古を通じて学べる道場にしたいんだ、
という答えが見つかるまでに、私の心の中に様々な葛藤がありました。

長年、競技者として試合で勝つ事に価値観を置いた稽古を続け、
やがて燃え尽き症候群となり、しばらく空手を離れた時期もありました。

そして、試合で行なっている稽古の技術が本当の空手だと言えるのか、
このような稽古は一生涯続けてできるものなのか、
武士の時代ではないこの時代に人を倒す技術を教える事に意味があるのか、
そうした中で、メンタルトレーニングや様々な人との出会いから
得られた答えが稽古を通じて「天地自然と一体となる生き方」を志す、
という事だったのです。

小さな頃から受験やスポーツなど様々な場で
勝ち負けに重点を置いたり他人との比較をしたりする価値観の中で、
多くの人達は相対的に物事を考えるようになり、
いつも他人のことを気にする、自分はどうしたいのかが言えない、
自分のやるべき事や、自分の、自分だけの能力を磨いていく事を忘れている。
そんなように思えます。

人と比較しよう、争おうと思えばそこに対立が生まれます。
本来の武道の考えとは、人と争って勝つというものではなく、
そうした争いの意識をより高い次元の意識に昇華させる事にあります。
武道の「武」という字は「戈(ほこ・・武器の事)」を「止める」
という意味を表します。武道の極みは争いのない「和」の精神にあるのです。

人との対立・比較を超越して己の技と心を磨き上げる事で『人を活かす空手』が
できるのではないでしょうか。「天地自然と一体となる生き方」
それは、空手の枠を超えた人生を心豊かに生きるための価値観でもあるでしょう。

私はそうした本質的価値観を日々の稽古を通じて
道場生に伝え、共に学び、成長していきたいと考えています。


天志道場 代表
 竹中洋一


道場訓

一、鍛錬を積み重ね、健全なる肉体と精神の形成に努めること

一、挑戦心、不撓不屈の心を以って、高みに向かい精進すること

一、武人としての誇り高く、誠実で義に厚き者であること

一、武縁に感謝し、和を尊び孝を尽くすこと

一、空手道の修行を通じ、天地自然と一体となる生き方を
   志すこと




少年部道場訓

一、稽古で技をみがき、強いからだと心をつくります

一、勇気をもって挑戦する心、あきらめない心でのぞみます

一、よい言葉をつかい、正しいおこないのできる人になります

一、感謝の気持ちをわすれずに、家族や友だちを大切にします

一、空手道の修行をつうじ、天地自然と一体となる生き方を
   志します




道場訓の意味

一、鍛錬を積み重ね、健全なる肉体と精神の形成に努めること

空手道の修行を通じて目指すべきは、単に技術的な強さ・上手さのみを
求めるのではなく、健康な身体や高き知性・品格を兼ね備えた心技体共に
優れた人となることです。1人1人が人間性を高め、稽古で身につけた
ものを日常生活において役立て、豊かな社会づくりに貢献してもらいたい
と願います。

一、挑戦心、不撓不屈の心を以って、高みに向かい精進すること

空手の道に終わりはありません。現状に満足することなく、より高い
目標に向かって挑戦し続ける心を持つこと、その中で起こり来る困難に
対しても怯まず挫けない心が、あなたをさらに進化成長させるのです。

一、武人としての誇り高く、誠実で義に厚き者であること

道場生には道場の中だけでなく、社会生活においても常に武道家としての
プライドを持ち、恥ずかしくない生き方をしてもらいたいと思います。

有事に対しても動じずに腹を据えて取り組む胆力を磨き、真心を持って、
人としての正しい道を歩んで行きましょう。

一、武縁に感謝し、和を尊び孝を尽くすこと

人は1人で生きているのではなく、家族や多くの仲間などの支えが
あってこそ、今の自分が存在しているのだと言えるでしょう。
人とのご縁は一勝の宝物です。愛と調和・互助互恵の精神で、そのご縁を
大切に育んで人々と良好な関係を築くこと、親兄弟を大事にすることが
平和な社会の創造にもつながっていきます

一、空手道の修行を通じ、天地自然と一体となる生き方を志すこと

武道においては心と体と天地自然が一体となる心身統一の状態が
最も自己の能力を発揮することができると言われています。相手に対する意識、自我、
心配、不安、人の心の中に湧き出る様々な「雑念」も、天地自然と一体となった時に
すべて消え去り、その人本来の力を発揮する事ができるのです。
人との対立・比較を超越し、一念熱き志の元に、己の技と心を磨き上げる事に邁進する。
それが空手道の修行を通じ、人生を心豊かに生きるための価値観です




少年部道場訓の意味

一、稽古で技をみがき、強いからだと心をつくります

空手の稽古(けいこ)を続けていく中で、強くなるためには、技がうまくなることは
もちろん、体を強くすることや、痛いこと・しんどいことにも負けない強い心が
ひつようです。心技体(しんぎたい)すべてを強くするつもりで稽古をしていきましょう

一、勇気をもって挑戦する心、あきらめない心でのぞみます

何でも積極的(せっきょくてき)に挑戦(ちょうせん)する「チャレンジ精神(せいしん)
しっぱいしてもくじけない「あきらめない心」が天志道場の目標(もくひょう)です。
負けたり失敗したりしても、とちゅうであきらめず、何度でも挑戦をし続ける子は
ぜったい強くなれます

一、よい言葉をつかい、正しいおこないのできる人になります

いくら技が強くても、人に悪口を言ったり、いやがることをする子は
空手家として、はずかしいですね。きれいな言葉づかい、人にやさしくしたり、
たすけてあげたりできる人、人がやるから自分もやるというのではなく、
何でも自分の意志でうごける人になりましょう

一、感謝の気持ちをわすれずに、家族や友だちを大切にします

自分が空手をできるのも、家族みんなのささえや、いっしょに稽古をする
仲間がいるからこそです。「押忍(おす)おねがいします・ありがとうございました」
のあいさつには、相手に対して感謝(かんしゃ)の心をこめてはっきりと
元気な声で言いましょう。そして家族や友だちを大切にする気もちをいつでも
わすれないようにしましょう

一、空手道の修行をつうじ、天地自然と一体となる生き方を志します

「天地自然と一体となる」とは、心と体と自然が1つになっていること、
つまり目の前のことにキチンと集中できている時のことをあらわします。
しっかり集中ができている時、自分が持つ力を全部出せることができるのです。
空手の稽古をつうじて、何でも集中できる心のクセをつくっていきましょう




天志道場ロゴマーク

内側の円の部分の青色は天地自然の色(空・海・宇宙)、 聡明さ、
何事にも動じることのない平静な心を表しています

円のふちと天志の文字、∞のマーク金色は空手道を通じて
輝きのある人間を目指す、気高い心という意味を持っています

円内の∞のラインは天地自然に存在するあらゆる方向への
エネルギーの流れや空手における体の運用、 足捌き、螺旋の動きを表し、
その中に無限(∞)の力・技の広がりがあるという 意味を示しています




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